ap bank fes'07 ライブレポート|7月16日(月・祝)

7月16日(月・祝) ap bank fes'07最終日 <第二部>

Bank Band
一部が終わった後も、何か細かいアレンジを詰めるわけでもなく、呼吸を整えながらリラックスしていたメンバー。実は櫻井和寿から昨日、こんな話をしてもらった。
「今回、Mr.ChildrenのJENの怪我による振り替え公演のこともあって、リハーサルのスケジュールが凄いタイトだったんです。でも非常にスムーズに行って。そこで思ったんだけど、みんなあれだけのミュージシャンですから、練習をしてもそれは『その日のその人の演奏』であって、他の日や当日はそれはそれで違ってくるんですよ。僕ぐらいだと決まったことをきっちりやるだけなんですけど(笑)、でもみんなはその日によって演奏が変わってくる、それぐらい凄いんですよね、Bank Bandの人達は。だから細かくアレンジとかを詰めて何度も練習しても、いい意味で当日は当日なんだということに気付いて(笑)。だから今年は、今まで(過去2年間)当日の午前中にやっていた『通しリハーサル』をやめたんです」

そのグレイト・バンドの07年最後のステージ、その時があっけないほど早くやってきた――。
ステージ袖にみんなが集まった。1曲やった後での登場を控えている大貫妙子が、櫻井と丁寧な挨拶を交わしている。そしてステージに上がろうとした時、スタッフから「ちょーっと待っていてください!」というストップサインが入った。小林武史が「どうしたんだ?」と問うてまわると、何と櫻井のマイクがないのだと言う。一同、苦笑いの図。1日だけのフェスに、ハプニングは付きものである。何といっても今日は「初日」なのだ。
マイクも見つかってセットされ、「さぁ行こう!」となった時、櫻井がメンバー全員に大声でこう放った――「イントロなしで行きましょう! 僕の歌からスタートしましょう!!」。そしてその櫻井を先頭に、Bank Bandがステージに姿を現して行った。本当に自由なバンドが、放たれて行った。

ちょうどその時、陽射しが射し込んできた。演奏のテンションも気持ち高ぶってきたBank Band。フェスのテンションもバンドのグルーヴも、もっともっと高くなる確信を抱くに十分なトップ・チューンだった。

“歌うたいのバラッド”




大貫妙子
「このアーティストのリハーサルは、いつもと違ってとても繊細なものになりました。ベースの亀ちゃん(亀田誠治)なんかは『あなた、音が大っきいわね』とクギを刺されたりしてたよね(笑)。とても繊細で静かな音楽ですが、でもその中だからこそ強いメッセージが聴こえてくると思います。それを感じてください。紹介します、大貫妙子」と小林がアナウンスして、とても小さなアーティストが登場した。
80年代の日本のサブカルチャーを作り、大村憲司、YMO、山下達郎、矢野顕子……多くの素晴らしきアーティストと共に素晴らしいポップの連鎖を起こし、

その繊細にして緊張感に満ちた音楽で、ディープな音楽リスナーをうならせてきた大貫妙子。 小林武史もまた、彼女とのコラボレートによって自らのサウンドワークを確立していったアーティストのひとりでもある。その大貫が、ステージに上がった。ちなみに大貫は当初15日出演の予定だったが、スケジュールを合わせてこの日に飛び入りすることになったアーティストである。
「そもそもap bank fesはap bankが運営しているわけですが、その母体には『アーティスト・パワー:ap』という団体があって、それは私と、坂本龍一と小林さんと櫻井さんと、SUGIZOくんで開設したものだったんです。だからこうやってフェスにまで大きくなって行ったのが嬉しくて……みんなも一緒に、うん、一緒にいろいろやって行きましょうよ。やれますから、何でも」
そんなメッセージを放ちながら、大貫妙子の「元祖ウィスパー・ヴォイス」が歌を奏で始めた。
静かに、そして透明なるスピリットが音と音の隙間にある「間」を埋めて行き、独特のミュージック・アートフォームができ上がっていく。極端に言えば、ポエトリー・リーディングのような音楽である。メロディーを歌がなぞるのではなく、言葉を、歌声を、歌詞をメロディーが追従して行くような音楽。
僕のような40歳前半の音楽ジャンキーにとって「聖歌」のような名曲が2曲目に届いた。80年代のサブカルチャーの優雅さが、Bank Bandのアレンジと共に蘇ってくる。
「音楽というのは国境を超えて伝わるコミュニケーションで、そんなコミュニケーション・ツールをもっと探さなくてはならないんです。でもそれは簡単なことで、『願うこと』だったりするんです。こう世の中になって欲しいと願うことによって、何かしたり伝えたりする。そこからコミュニケーションは生まれますよね。それだけでいいんです」
丁寧に、そして諭すように話しながら、音楽が始まるとウィスパーで歌う大貫は、その繊細さとメッセージの自然な融合によってap bankのスピリットの本質を見事に代弁していた。

“突然の贈り物”
“色彩都市”
“Dreamland”





KAN
大貫に続いてもうひとり、中止になった日に出演する予定だったアーティストがやって来た。14日出演予定だったKANである。櫻井がKANを如何にリスペクトし、影響を受けたのかについてはファンには馴染みな話なので割愛するが、遂にapにおいてもそのコラボレートが実現した。
「尊敬しているアーティストをお呼びします。初日に出る予定で、豪雨の中、一度戻られて、そしてもう一度来てくれました。小さなギャグを入れながらリハーサルを行っていたら、普通はひとりだいたい1時間だったものが、3時間になってしまった方です(笑)」
という櫻井のアナウンスに呼ばれて出てきたアーティスト――いや、あららスポーツマン!?
そう、なんとKANはアメフトのフルセットユニフォームで登場してきたのであった。櫻井から「いちいち芸が細かい」と指摘されたように、肘あてまで完璧にセットし「ほら、ピアノ弾く時に肘が当たっちゃうから大変で」とうそぶくKANは、日除け用の目の下のクマまでくっきり塗りながら(曇りの天気でまったく必要ないのに!)、イントロを奏で始めた。そして、途端に世界が音楽的なシリアスさに包まれていった。櫻井も、そのイントロを目をつむって愛しそうに聴き入っている。多くの参加者も、その櫻井がリスペクトするアーティストの本性がどんなものなのか――そのギャグ通りの徹底的に楽しいポップスなのか、それとも全編“愛は勝つ”のような世界なのか――興味深そうに凝視していた。そんな中、KANのスウィングするような軽快かつAOR的に洗練されたポップがピアノやヴォーカルからきめ細やかな表現として聴こええてきた。
しかし。
1曲終わるとまた、「台風の中、ウワンウワンと小学生のように泣きながら帰りました。そして今日は、もう一度ということで、新幹線を自分で運転してきました! 今日はとっても嬉しい、44歳です(だからユニフォームのゼッケン、44だったのか……)………何か僕に言うこと、ありませんか? 櫻井くん(笑)」というAMラジオのような見事なMCが。櫻井のなおも「(笑)………尊敬しています」という返事に、「それでも(つまり、こんなカッコでこんなことしか言わないのに)尊敬すると言ってくれるんですか!」と返しながら、「去年、出したものなんですけど、その時にすぐに櫻井くんから『いい』と言ってもらった曲です」と再び歌を歌い始めたKANだった。
きっとすべては「照れ隠し」なんだと思う。照れ隠しせねばならないほど、深い部分からこみ上げてくるラヴソングを描き、歌っているのだと思う。実際にKANのライヴを観て驚いた人もいたことと思うが、非常に洗練された、そしてスティーヴィー・ワンダーらのブラック・ミュージック的なグルーヴと、ベン・フォールズ・ファイヴ的なピアノ・ロックがセンスよく合わさった素晴らしい表現をするアーティスト、それがKANであった。2曲目も櫻井はずっとマイクレスで歌い続けている。本当に、KANを愛していることが、伝わってくる。
「みんなも一緒に歌って欲しいと思います。1、2、3、4!」と自ら声を張り上げながら、最後に“愛は勝つ”が始まった。もちろん、大歓声の中、えらい盛り上がりだ。ラヴソングが復権しているここ何年かのシーンの中で、リリース当時は「愛は勝つなんて、よく言えたもんだ」という囁きも聞かれた歌が、リスナーの願いを代弁する説得力のある歌になっている。そんな本質的なポテンシャルをまざまざと見せつける素晴らしいライヴと、時に失笑を誘いつつも人を優しい気持ちにさせるギャグを織り交ぜながら、素敵な時間はあっという間に過ぎて行った。

KAN コメント
「今回の僕はもう乗っからせてもらっただけなので……今日は本当に呼んでもらえて嬉しい。楽しいっすねぇ。バンドだけじゃなくてすべてのことに凄く時間がかけられてるイベントで。だから、お客さんに観てもらえない部分があったっていうのは凄く悔しいと思うけど、でもそれもお客さんの安全を第一に考えての判断だからね…………今年観られなかったお客さんも、来年は絶対観たいと思うから、うん。あとね、なんかリハーサルが僕だけ長かったみたい(笑)。でも小林さんに『時間はどれくらいですか?』って聞いたら、『もう気が済むまで』って言ってもらったから気が済むまでやらせてもらいました(笑)。したら、3時間経ってました、ははは。今日の“愛は勝つ”の演奏は、初めてやってみた種類の演奏だったんです……途中、間奏の後に僕ひとりだけになるんですよ。小林さんが、そうやってより言葉を伝えるっていうことをやってみようと提案してくれて。さすが名プロデューサーですね!」

◆ところで、なんでアメフトの格好だったんですか?
「え、野外だから。それだけです(笑)」

“MAN”
“世界で一番好きな人”
“愛は勝つ”





加藤登紀子
「まだまだ最高のシンガーがいます……心して味わってください……加藤登紀子」という、若干緊張しながらお招きする櫻井の声に導かれて登場した加藤登紀子は、なんとなんと、まるでウェディングドレスのような衣装を纏いながら、満面の笑みをフィールドに投げかけてくれた。
去年の井上陽水のような、圧倒的なる歌声の力が竜巻のように心に襲って来る。歌を歌うために生まれてきたような人、という言い方が正しいかどうかわからないが、ずっと歌い続けてきたことによって凄まじいアーティストになったというより、あらかじめ歌が何なのかを、歌詞を伝えることが何なのかを、

わかっているから伝達者として歌を歌っていますという意識を感じる。 そしてバンドの音と自分の意識が混ざって出てくる化学反応を楽しんでいる。
「素晴らしい演奏で、飛べそうな気がするぐらいです(このMCは1曲目“この空を飛べたら”にかけています)。このバンドは素晴らしくて、音楽人としての誇り……プライドを持ってるんですよね。素晴らしい(笑)。1曲目は中島みゆきさんが78年に贈ってくれた曲で、次は映画『紅の豚』ではジーナが歌う曲なんです」と語りながら、次の曲へ向かった。
背筋が通ったシャンソンである。プライド自身が音を鳴らしているかのような歌である。その歌と、ストリングス、そしてリズムが合わさると、音楽と人と自然が理想的なバランスで共鳴し合っているように響いてくる。音楽と人と自然――共鳴し合うのは必然なはずだが、どうなんだろう……決して僕らの関係は上手く行ってなくて、だから昨今、環境やエコなどの運動やメッセージが増えているし、このap bankが生まれたりしている。しかし、加藤登紀子の歌は、その音楽と人と自然のバランスを示唆してくれるような、奇跡のハーモニーが聴こえてくるのだ。
「なんで人間ってどうしょうもないのかな……でもなんとかならないのかなぁって頑張ってきた歴史も、確かに存在していたんです。まだ今は『戦争の20世紀』の後始末をしているだけで……でも私は信じている。信じなくても、自分がそんな争いの時代を変えればいいんだから。今日はもう一曲、フランスの戦争の後で生まれたLOVE SONGを歌います。恋人が戦争で死んだ後で歌われた曲です」――大きく深呼吸をし、五感を整えてから、最後の曲が歌われた。誰もが知っている、歴史的な愛の名曲である。そのシャンソンが、最後にBank Bandのアレンジによって、マーチ=行進曲になった。素晴らしい、素晴らし過ぎるアレンジだった。愛が行進している……愛を讃える歌が、行進していた。確かに愛が前へ前へと進んでいたのだ。

“この空を飛べたら”
“さくらんぼの実る頃”
“愛の賛歌”





藤巻亮太(レミオロメン)
小林と櫻井が「引き込まれちゃったね」、「素晴らしかったね」と感嘆し合っている。そして次なるプレシャス・アーティストを紹介した。
櫻井「次は予定にないアーティストです。そもそもバンドで登場するはずだったんだけど」
小林「ひとりでよかったら、1曲でも力になれたらって、昨日、突然電話をくれて」
このやり取りを聞きながら、筆者の真後ろにいた恋人同士から「ほんと、豪華だねえ」というため息のような声が漏れてきた。
そしてそのため息をついた恋人達は、5分後に涙で顔がグショグショになってしまうのであった―― ここで突然、レミオロメンの藤巻亮太がひとりっきりでステージに登場したのである。
「今日は想いだけでここまで来てしまって、めちゃくちゃ緊張しています。でも、時には想いだけでいいんじゃないかって思ったので、歌います」
と言いながら、椅子に座ってアコギをひとりで弾き始めた。ちなみに藤巻はひとりでライヴをしたことなど今まで一度もなく、もちろんこの日の「ひとり粉雪」もレパートリーにあったわけじゃない。本当に、完璧に、想いだけなのである。
「それでも1億人から君を見つけたよ 根拠はないけど 本気でそう思っているんだ」という歌詞が、このフィールドと28000人の心を射したものは、あまりにも確かな願いと覚悟だった。最初は緊張していた藤巻だったが、最後のほうでは嬉しそうにギターを爪弾き、そして最後はホッとした表情を浮かべながら歌い切った。
フィールドのいたるところに、涙が落ちていた。

藤巻亮太 コメント
「本当に気持ちだけで出て行っちゃったもんだから、すっごい緊張しちゃいました。キーが低いからどうしようかなとかいろいろと試行錯誤したんだけど、今年は『チャレンジ2007』なんです、マイ・テーマが(笑)。だからよかったなぁと思ってます。今回のことが(apにも自分にも)何かの足しになっていったらいいかなと思います。でも! ひとりなんて初めてですからね。こういう気分なんだぁっていうのを味わって勉強しました」

“粉雪”




コブクロ
「いい奴だな(藤巻は)、柴犬のような目をしていた(笑)」と、心からの感謝の気持ちを櫻井が表し、そしてきりっとした視線で次のゲストを紹介した。
「それでは2度目の出演です。大っきいほうの人のステップ、ちょっとだけ覚えたんだけど」と言いながら、さながら野茂がボークを冒した時のようなけったいなステップを踏んだ。場内、大ウケ。そしてコブクロが登場した。
まず「大っきいほうの人」(黒田俊介)が、どこか気まずそうに入ってきたのが、どこか彼らの音楽の丁寧過ぎるほど丁寧なスタンスを表している気がした。
「小さなほうの人」(小渕健太郎)が、「今日はもう、感じることがいっぱいで、言葉にならないんですけど……みんな『たったひとつ』を積み重ねて、それが音符になって、そしてみんなに届くんですよね。……僕らも感動しています」と話しながら、フィールドの誰もが知っている曲を、静かに熱く、立て続けに響かせて行った。
彼らの音楽は「ポップス」である。言葉尻な話になってしまうが、「たかがポップス」の部分をよく口にする輩はマスコミ含めてとても多いが、「されどポップス」の部分を言葉にする人は案外少ない。世の中で一番消費されている=耳にされている音楽がポップスなのに、である。きっと、その消費が前面に出てくることに対して、演じ手も受け手もひけ目を感じている部分があるからだと思う。しかし、コブクロはその「されどポップス」をきっちり前面に出す歌を歌い、そしてパフォーマンスをする。その潔さが彼らの今のブレイクに繋がっていると思う。そして、そういうふうに「ポップスである意味や責任を、もう一度明確に示してメッセージにして行く」ということときっちり向かい合い、その行動原理がロックとなっているバンドこそがMr.Childrenである。櫻井とコブクロ、音楽もキャリアも立場もまったく異なるが、お互いがお互いのやり方でポップスを復権させていることが伝わるセッションが、確かに聴こえてきた。
コブクロがなぜ今、こんなにも多くの人に聴かれるのだろうか? それはいい音楽だからだけでなく、「世界が痛いから」な部分が大きいと思う。そんなことを聴きながら感じたのも、もしかしたらここがap bank fesだったからかもしれない。みんなはコブクロのヒット曲を聴きながら、何か考えていたのだろうか?
それにしても。
それにしてもである。
なぜ、あのステップなのだろうか? なぜ、あの大きな体を斜め横にくねらせながら、つまづいちゃったかのようなステップを意図的に踏むのだろうか? 時にアーティストと音楽の関係は奇妙なデザインを浮かべるが、コブクロ、まさにそれである。

“蕾”
“風”
“君という名の翼”





コブクロ×絢香
コブクロからの紹介で、今年のapのディーヴァが、再度ステージにぴょこっと現われた。そして、まるでこの国の07年のカントリーソングのようなあの歌を響かせることになった。瑞々しい絢香とコブクロと櫻井のハーモニーがフィールドに木霊し、ここまでで一番の手拍子がステージに届けられた。たった1曲だけで、空気がガラッと変わった瞬間だった。「曲がりくねった道の その先に」――その先に、ap bank fesがあったのだろうか。
それにしても絢香の応用力と順応力とエネルギーは、櫻井の次にこの日のカラーを染めて行くものだった。このヴァイタリティは凄いし、「何しろ創るんだ、私の歌を、そしてみんなの歌を――」という意識の高さには論理を超えたものがあった。まだ芽生え始めたばかりのこのアーティストは、どこまで伸びるのだろうか?

“WINDING ROAD”




シークレット・ゲスト
氷室京介
「さらにお知らせしていなかった、素晴らしいヴォーカリストを紹介します。心して……氷室京介」
フィールドが揺れた、そしてどよめいた。たぶん、氷室京介という選択肢は、ほとんどの参加者の中にはなかったのではなかろうか。
日本のロックの文体を作った、BOOWY。そのヴォーカリストであり、「日本のミック・ジャガー」のような役割を果たす氷室である。そもそも彼がイベントに出演することはほとんどなく、他のアーティストや音楽の世界とは相容れない孤高のスタイルを貫いてきた氷室が、いつもより随分と穏やかな表情で両手を広げて
ゆっくりと入ってきた(去年、GLAYとの共演を1曲果たしたが、もしかしたらそこから芽生えた感情なのかもしれない)。そして、「楽しんでますか!」と一声張り上げた後、歌い始めた。
右足を前へ突き出しながら、Bank Bandの大きなロック・ビートに、ヒムロックが乗り込んで行く。何度も書くが、氷室の歌い方や言葉の乗せ方がなかったら、日本語ロックの文体は大きく変わったはずである。バンド・ロックという定義に基づけば、それは尾崎豊やサザンオールスターズより大きな影響をもたらしたものであろう。そんな独特のアタックの強い歌唱法が、つま恋にぶつかって行く。
これも前記したことだが、今年のBank Bandの選曲はミドルとバラードが大半を占めるものとなった。小林にその要因を問うたので後ほど答えを記すが、そんな今年のapのムードに介することなく、「俺の道」としてのロックをやりに来て、そしてBank Bandのメンバーにも今年の中では異質な演奏をさせる圧倒的な神通力に、確かな氷室京介を見た。
そんな轟音のロックンロールを立て続けに2発かまし、その最後の音が鳴り止まぬ中、ヒムロックは再び大きく両手を広げながら、ステージとフィールドに感謝の意を示し、晴れ晴れした表情のまま、去って行った。
スターという言葉の意味など言葉にしなくていい。そんなテンションが氷室の一挙一動から滲み出ていた。

氷室京介 コメント
「あまりこういうフェスティバルとかに出たことがないので緊張しましたけど、楽しんでやらせてもらいました。俺、長いことずっと櫻井くんのファンだったので、同じステージに立てて嬉しかったですね。(いつもと違うバンドと演奏するのは)新鮮でしたね。今度はもっと勢いのある曲を作ったら、もう一度やらせて欲しいなぁ!」

“B・E・L・I・E・V・E”
“CALLING”





Bank Band
「もう誰も出てこない! しょうがないから、僕が歌います(笑)」と満面の笑みで櫻井が唱えたその時、17時ちょっと前。どうにか開催できたこの日へに対する「自然」からの最後の挨拶なのか、西日がつま恋に射し込んで来た。
光という彩が、音楽に射し込んで来たのだ。
その西日の中、Bank Bandもさらにスウィングしながら、最高にプロフェッショナルで最高に無邪気なポップ楽団の有り様を見せつける名演を響かせてくれた。
最後の曲の前、「いよいよ最後の曲です。こんなにライヴをやれる喜びを感じた日はないです。誰に感謝していいのか、わからん(笑)。……でも、次の歌の出だしの1ラインで、すべてが表せている気がします」という櫻井からの挨拶があった。そして、歌い始めた。
「こんな僕でも やれることがある」
櫻井は、そしてBank Bandは、野に咲く最高の花なんだと思う。力強くて、誰もが見ることができて、そしていつも気付かれるわけじゃないけど、たまに気付かれると最高の元気を花粉のように飛ばす野に咲く花。それが、この楽団なんだと思う。
今年もap fesと一緒に音楽時間を過ごせたことに安堵と歓びを抱いた人が多かったことと思う。今年は彼らと一緒に過ごせなくて、自然を憎んだ人も多かったことと思う。
みんな、このフェスがあったから、「反応した」んだと思います。
その反応こそが、apが唱えるレゾナンスであり、そして彼らが音楽を鳴らす目的なんだと思います。
今年のBank Bandを耳にした人、耳にすることができなかった人、名曲はあなたの周りをいつも飛んでいます。どうかキャッチしてください。すると今度はまた来年かな? Bank Bandが新しい服を着せた名曲を響かせてくれると思います。
そんな気にさせるたった1日だけのBank Bandの07年が終わった――。

“イロトリドリノセカイ”
“MR.LONELY”





しかし、まだまだap bank fesは終わらない。
ウルフルズとMr.Childrenがさらに控えているのだ――。 

(つづく)
鹿野 淳(fact-mag.com

前のページへ 次のページへ

ap bank

ap bank fes'05

ap bank fes'06


ap BANG!




i-revo