文:田中 優
  暑いap bank fes'06の初日、駅前のバス停には朝早くから人が並んでいた。会場に入ってからも、去年よりずっと多くの人たちが、ライブエリアだけでなくフードエリアの入場門にも並んでいる。ライブを楽しみにするのは当然想像できたけれど、フードエリアで過ごす時間も楽しみにしていてくれている人がいるようだ。今年はフードエリアも二会場、食べ物やグッズの店も増えている。過ごす人にとって助かるのは屋根のついたスペースが増えたことだ。初日の暑さも、三日目の雨も少しはしのげるようになった。
  今年も参加者自身による、徹底した分別を呼びかけている。しかし戸惑う人の姿は多くない。ライブステージから櫻井さんが「去年もfesに来ていた人」と訊ねたとき、全体の半分以上の人が手を挙げていた。このfes自体がとても強い魅力を持っていて、人々を惹きつけているようだ。今年もまた、会場の芝はゴミひとつ落ちていない状態のまま広がり、落ちているゴミは、誰ともなく拾われてしまう。
  今回初めて参加した友人は、「この世の天国みたいだ!」と言っていたけれど、二年目の自分にとっては当たり前に思えてしまう。でも確かに参加している人たちはみなフレンドリーで、「同じ会社に勤めていて、話したことはないが見たことはある人」みたいな距離感でいる。「…ところでさ」と話しかけていいような距離だ。実際、ap bankの融資先ブースでは、たえず人々が会話している。
  何か始めたいと思えば、各ブースには、それぞれの活動をわかりやすく説明してくれるメンバー(実はかなり本格的な人たちなのだが)がいる。この場が楽しいから、みなにこやかだ。なぜだか参加者も出展者もみな、さりげなく話しかけるのがうまい。しつこくなく、硬くもない。

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  フードエリアの『エコレゾブース』には、三つのテーマでパネルを展示した。「自然との共生」「持続可能なエネルギー」「地球市民」の三つだ。その展示やイベントで、どう多くの人に興味を持ってもらうかを考えるために、事前にNGOメンバーに集まってもらって何度もミーティングを繰り返してきた。初めてこうした環境問題に触れる人たちが参加できるような仕組みをどう作るか。メンバーは毎回知恵を絞って、終電ぎりぎりまで論議してきた。
  「自然との共生」では、自然と生き物のつながりを感じてもらうために、リーダーを集めて『自然観察会』をすることにした。場所は「つま恋」会場そのもの。その後、各地に戻ってからも参加できる観察会のマップも展示して。参加者は小さな昆虫や草花に、新たな発見やつながりを知って満足そうにしている。三日間で数百人の人たちが、新たな『つま恋』を発見していた。そのパネルでは、森林や川、そこから得られる食べ物が紹介されている。自然の営みで生かされている人間を感じると共に、配慮のないダムや伐採によっては奪われてしまうことを知るためのものだ。
  「地球市民」のパネルでは、世界の貧しさや紛争と私たちの生活との関係を知らせている。わずかな賃金の児童労働で手縫いされている「サッカーボール」、「石油やガス」を奪うための紛争、莫大なエネルギーと水を浪費し、森を伐採して作られる「輸入牛肉」などだ。一方で、人々を虐げずに作られるフェアトレードのサッカーボール、水もエネルギーも無駄にしない地産地消の短角牛の存在を伝えている。
  「持続可能なエネルギー」は今まさに世界の焦点だ。世界の紛争地は石油とガス、そのパイプラインの上にあり、地球環境を崩壊されかねない地球温暖化は、それらの化石燃料を消費することで促進されている。私たちは、今のままのエネルギーを使うのか、自然のエネルギーを利用していくか、二つの未来の岐路にいるのだ。一方、自然エネルギーはすでに実用レベルとなって世界各地で利用されている。それをパネルで紹介した。
  「地球市民」と「持続可能なエネルギー」ではさらに、ワークショップ「世界のホントがみえる○×クイズ」を開催した。その場で呼び込んだ人たちだというのに、環境問題をよく知っている。参加者はマスコミでは紹介されない解説に、集中して聞き入っている。
  また他のグループは、参加者ひとりひとりに思いを書き残していってもらう『エコレゾの余韻(エコレゾ・ノオト)』というコーナーを設けた。彼ら自身の費用で、自発的に設けたものだ。そこに人が連なり、パネルを見ながら感じたことを書き残していく。
  さて、ap bank fes会場は、気づいてみると食べ物の多くはオーガニックで作られ、グッズの多くは環境を破壊せず、なおかつフェアトレードで作られている。さらには電気はすべて自然エネルギー(しかもフードエリアの電気は、廃食用油を燃料に、その場で発電されている)から届けられ、一部のシャトルバスも廃食用油で走っている。ゴミは参加者自身の手でリサイクルされていくのだから、まさに未来を示した会場になっているのだ。コンサートは埃の立たない芝の上、ライブを見つめる視野には必ず木々の緑が目に入る。Bank Bandは各曲たった一回しか演奏しないというのに、心地よい緊張感の中、いつも演奏しているかのようなタイトなリズムを刻んでいく。
  リピーターが多いのもうなずける。一度参加した人たちを、ここまで魅了してしまうfesは、他に例がないのではないだろうか。
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  「僕自身ももちろんそうだけど、人は自分一人じゃなかなか幸せは得られないと思うんです」と小林武史さんは言う。
  もしぼくが、利己的に幸せを求めたとする(当たり前のことだが)。でも求めていた幸せは、欲しかったモノを自分のものにしても一瞬で消えていく。結局気づくのは、『誰かを幸せにしたときに、幸福感を感じている自分がいる』ということだ。それは最初から「利他的な行為」なのではない。「誰かを幸せにしよう」と思ったわけではなくて、自分が幸せになりたいと思っていたら、誰かを「結果的に」幸せにしていたわけだ。
food area report
  でもそれはとても楽しい体験だ。何より「共有できる」ことが楽しい。同じ可能性を信じたり、互いに「こんなことができないか」と論議したりできるのも、同じ『キー』を共有しているからだ。キーが合っていれば想いがレゾナンスする。レゾナンスしているとき、ぼくらは一人では奏でられない何かを共有している。
  レゾナンスという言葉は、とても奥の深い、人間の根源を言い当てている気がする。ぼくらがなぜ人と一緒にいたがるのか、なぜ音楽に共感するのか、人がなぜ喜怒哀楽を感じるのかという、哲学的な命題への答えにすらなっている。
  ではなぜap bank fesという場が、これほど人を惹きつけるのだろうか。去年はある種の偶然であったかも知れない。しかし今年は二回目なのだから、偶然ではありえない。ここに魅力の核が隠れている。ぼくは『ap bank』という存在そのものが、自分たちの未来のために、利他的に存在しているためではないかと思う。そのために利他的でありながら、押しつけがましさが全くない。fes自体もまた、ミュージシャン自身が自発的にしているものであって、誰かに頼まれてしているものでもない。そこに参加するNGOメンバーたちも、自発的に協力する形になっている。参加者自身もゴミ分別に始まるイベントの構成員になっている。自分自身が作っているのだから、競争する必要もない。慎み深く音楽を伝え合う場が生まれるのだ。
  そもそもap bankそのものが、融資という仕組みを通じて「他の人の努力を応援する形」になっている。しかも応援されている「環境保護」や「地球に生きる人々」を支援する活動は、実は応援している人自身のためでもある。互いの努力が、互いを幸福にする努力だったのだから、気持ちがレゾナンスしていくのは当然のことなのだろう。

  エコレゾブース準備のミーティングで、「どう思う?」と桜井さんに聞いてみた。
  「うん…、ぼくとしてはもっと『工夫』みたいなことを出していけたらいいなと思うんです。ちょっとした『工夫』が新たな可能性を生み出して、省エネみたいな簡単なことでいいから、伝播していくみたいな…」
  『工夫』は簡単なことだけれど、受け身の状態ではできないことだ。つまり自分から積極的に乗り出していく時にしか生まれないことなのだ。それが自分と世界の関係を変えていく。それまで「させられる」しかなかった自分が、「〜する」主体になる。それは受け身ばかりのモノクロの毎日を変えるだけでなく、自分の中に大きな『可能性』を生み出すのだ。
  Mr Childrenのライブで、桜井さんが「ap bankで融資している人たちのことを思いながら作った」と前置きして、レコーディングされていない新曲を歌った。
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なんてことない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作っていく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ          (「彩り」作詞作曲 桜井和寿}
 
  ぼくはさらに夢を見る。去年の融資先のブースは少数だったから気づかなかったが、増えてきた今年になって気づいたことがある。
  一つ目はこの場の独創的な活動を組み合わせて、鷹みたいに高い空から見たとしたら、「持続可能な社会は可能なのだ」と気づかされるだろうことだ。たとえばゴミ、それがリサイクルできて、発生時点で自分たちで分別してしまえばたいした手間ではないことに気づく。ゴミのその後を見てみれば、廃油はシャトルバスの燃料や、フードエリアの照明を作り出している。ペットボトルはさまざまなグッズや衣料の原料になり、生ゴミはオーガニック野菜の堆肥になって有機農業を支えている。水の汚れだって水草に集められ、それが有機農家の堆肥になる。目の前のゴミを、これが何に使えるかと考えただけで、新たな社会の仕組みが生まれてくるのだ。ライブで使った電気は風車、太陽光発電、バイオマスからの電気だ。ap bankの融資先には自然エネルギー事業も多い。「なぁんだ、こんなところに可能性があったのか」と思うほど、ap bankが融資している事業は当たり前の場所に、未来の可能性を実現していたのだ。
  もう一つ気づいたのは、全国各地にある『緑の点』が確実に増えているということだ。融資を受けた彼らの事業を、『緑の点』として全国地図に落としてみたとしよう。次第に増えつつある緑の点が、何年かすると、次第に地図全体を緑色に変えるだろう。
  櫻井さんがいつも強調するように、ぼくらひとりひとりは大きな人間ではないし、誰もがただの一人の人にすぎない。そのぼくらが社会を大きく変えようとしても、力はたかが知れている。逆に一人が社会を変えられるとしたら、その社会はとても危険な独裁社会になっているはずだ。ではどうしたらいいのかと思い悩む。
  でもぼくらにはもう一つの方法があった。『緑の点』だ。ぼくらは自分の小さな『工夫』を、足元の場所に落としていくだけでいい。その試みを互いにレゾナンスして、もっと簡単で使いやすい仕組みに変えていこう。非営利の活動は幸いなことに、自分たちの発明を独占するより広げたがるものだ。
  すでに持続可能な社会にする方法は、融資先の人たちが徐々に発見・発明し始めている。それを組み合わせて、さらなる仕組みを工夫すればいい。自分のための「利他的な活動」でレゾナンスしながら、互いに「彼らのおかげ」と感じながら進められるとしたら、『緑の点』はさほど困難もなく、社会に広げていけるのではないだろうか。
  ぼくはこの可能性に賭けてみたい気がする。
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